今を生きる、とはなんぞや
マイアミでホテル検索をすると
マイアミとマイアミビーチが出ます。
今いるのはマイアミビーチの方で、そのサウスビーチ。
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マイアミに限らず僕は観光しませんし、検索すらしません。
その場所、土地がどんなところかは知らないで行きます。
え?マイアミって観光地だから行ったのでは?
違うんですよー。映画で雰囲気は知っていますが、、、、。
マイアミは、沖縄に住んでいたときの英会話スクールで
パンデミックで泣く泣く帰国してきた女の子が
留学していたって聞いていたから。
実際に来てみたら江ノ島、湘南の海岸の世界バージョンの
観光地ですが、本質は江ノ島(関東限定かい!)です。
※あなたが出かける夏の海のリゾート地と
何も変わりません。
なぜ観光しないのか?と聞かれることもありますが
僕は逆になぜ観光(いわゆる観光)をするのか?と
(いちいちほんとに聞きませんが)問いたいのです。
観光って「パンとサーカス」。
パンを食べるために働くばかりでは無くて
娯楽としてのサーカスもね、という為政者の
民衆操作装置のひとつでしょうって。
「もう、そういう難しいややこしいこと言わずに人生
楽しければ良いじゃない」
……って言われるかな。
為政者の仕掛けに乗るモノか!みたいなのは
結局、行動が反転しているだけでその価値観で
動いているだけなので、そうではないのですよね。
で、じゃぁ、どうやって次の行き先を決めるのか?
===
・気温が下がる夜ー朝の最低気温が15度を切らないこと。
・フルパッケージの場所。
===
一つ目は、朝起きて「寒い!」って口に出てしまう気温。
二つ目は、Googleマップを拡大していくと繁華街って
うす黄色ぽくなっているんです、そこ。
今居るところはここ ↓
黄色いでしょう?
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僕は雄大な自然も、自然の素晴らしさも、偉大な建築家の
建造物も見ても、心電図が動かないのですよ。
「へぇ_」
三大瀑布のジンバブエのヴィクトリアフォールズも
同じでした、、、、ので、あとの2つも僕にとっては同じ。
ほぉほぉ、くらいにはなるかなぁ。
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日常と非日常、って言葉を使いますが、比率で言うと
9:1とかで双方があるから、片方があるわけですよね。
たとえば
冒険野郎のとんでもない探検、冒険で人から見たら
うわぁと思う映像を見たときに非日常を感じたその毎日って
その冒険野郎には日常ですよね。
非日常はいずれ日常になり、日常は次の非日常を求めます。
僕はその意味で非日常はいらないんです。
日常に飽いていくから刺激としての非日常を求める。
でも、比率で言えば一瞬で終わり、また、日常に戻る。
飽いた毎日をおくり、非日常を欲しながら
飽いた毎日から目を背けて、非日常という次なる
目標に向かって日々くらす。
本当はたいして面白くない、つまらない仕事だから
目標設定をして「仕事はおもしろい!」という
フリをしていることに気が付かないくらいに
仕事を面白がってみる。
目標による目新しい体験は一時は非日常となるので
ひとときの「飽きに対する癒やし」になり得る。
そうやって、
そうやって、
そうやって、
自分はなぜ、何に、飽いているのか?
という根本的な問いを立てずに「日常ー非日常」を
行ったり来たり
旅行に非日常を求めるのは構図が全く一緒です。
僕は、
旅行先、旅先、行き先で日常的なことしかしません。
起きてジュースのんで、コーヒー飲んで昼過ぎに
「ブレックファスト」して、散歩して、本読んで
この7/1からだとメルマガ書いたり、するが加わって
夜メシは通常食べないで、宿でビール飲みながら
Netflix見て、適当なリズムで外に飲みに行って
たまに深酒して、昼まで寝て……
これがずっと続くんです。
そんな人生つまんなくないですか?
もっと人生楽しめばいいのに
人生楽しんだもん勝ち
人生生きているだけで丸儲け
死ぬこと以外はかすり傷
人生という遊び場
毎日が冒険
でしょう?と。
▼
これをお読みのあなたもいずれ仕事を減らしていったり
リタイヤ/セミリタイヤする、、、という方が多いのでは?
一生現役で働きます、と軽く言う方が多いです。
それは働き手、売り手の都合で、
マーケット価値のない老いた提供者は相応に価値がないと
働きたくても働けないのです。仮に運良く働き続けても
仕事って「パン」なので飽き飽きしているのですよね?
「一生現役で働きます」
とは
「一生、毎日毎日飽き飽きする毎日を続けます。」と
と言っていると同じ意味です。
また、
一生旅して他では味わえない体験を経験し続けます
というのも、仕事が旅行に置き換わっただけで
刺激を求め続ける限りは同じ意味です。
それが、どんなファーストクラスだろうと、
素敵なホテルだろうと秘境だろうと。
▼
僕は、20代の時から、
禿げたらイヤだなと頭髪のケアをしてきました。
今、同世代とはずいぶん頭髪の様相が違います。
30代の後半から老眼はイヤだな、と
眼筋体操をしてきてきました。
今、同世代は、腕を伸ばしきってスマホをみています。
何をしたか?ではなくて、人生の時間軸がどうなのか?
「今を生きる」って言いますが、今を生きながらも
数十年後もその日の「今」を生きるわけです。
昨日今日、という今を生きるときにほんの少し
将来の「今」に「今を生きているなぁ」って思えるような
探求をする、
そういう生き方が飽きない。
体力とか財力とかそういうわかりやすい想定や
人から提示されて可否がつきやすいモノは
考えやすいです。
そうではない、こうした抽象的なことほど
日々考え抜くのが本当に飽きない(僕はね)
生き方や、何かの決定、判断の時の基準の一つに
過去を振り返って過去の自分に
ありがとう、といえるのか、があります。
「なんであのときあれをしなかったんだよおまえは」
と、文句の一つも言わないですむように……。
今日を生きるのに、そんな風に考えながら
今日もビールを飲みながら
Netflixで日本のドラマでも見ますか。
▼
日本への帰国と滞在予定がだいたい決まってきました。
呑み会とか飲み会とかのみかいとかやりましょうかね
にしだ拝
追:
昨日書いたJIN&TONIC 読み返したときに
なにかおかしいなと思ったらGIN、ですね。
マイアミはスペイン語が普通で、
軽くスペイン語で挨拶したり
一言二言会話できるのが楽しいです。
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